執筆業だが才能がない。

才能がないだけならまだしも生きる気も努力する気もヤル気もない。

クソ田舎の毒親のもとに生まれ、執筆業につきたいと言ったら殴られて育った。

親の元を逃げ出し、執筆業で生計を立てられるようになってなんとかがむしゃらに十年やってこれたが、それは親への反発、意地のようなものでもあった。

矮小な自信の割にどでかい自意識と名誉欲を抱えて、それをエンジンに仕事をして、その界隈の実力者とつながりを持ったりした。

そしてわかったのは、実力者は当たり前に努力してるってこと。それも楽しんで。そして実力者とつながっても自分は何者でもならないということ。

どのジャンルや人生でもそうだと思うが、親ガチャの当たりをひいたやつや、文化的土壌があるやつが強い。自分の好きなことを伸ばせるからそこそこでもやっていけるし、強いやつは更に強くなる。一番強いのはたまにいるガチの天才。

考えると当たり前なのだが、そこそこでもナチュラルに努力している。いろんなものに興味を持てる。机に向かうのが好きだったりする。

それが自分には絶望的にない。実力者や仕事相手から聞いた方法、カウンセリング、ありとあらゆる自己啓発本を読んで試してた、一時的に変化があったりしたけど根本的には変わらなかった。

文章を読むのが好きだから今の仕事にしがみついているだけで、生産側の喜びは少ない。仕事にいきればと映画も音楽も演劇も色々手を出したけど、ほとんどのものに興味がない。

それに気づいて絶望してまた親を恨んだ。自分がだめなのは親のせいだと。そして実力者を心底妬んだ。持ってる人は、本当に持ってない人間の気持ちはわからないし、逆恨みだと気づいていたので妬めば妬むほど傷ついた。

 

40を超えてから少し落ち着いて、自分の手持ちのカードで戦うしかないんだということがようやく自分の考えに浸透してきたとおもう。

実力者に近づかないようにし、ネットから離れ、比較するのをやめたのも大きい。

親を恨んだり人を妬んだりする代わり以前より働くのが難しくなった。

自分の手持ちのカードで戦おうとすると、自分の実力のなさはまだしも、努力する気がないってことにを受け入れるのが一番辛い。

そして、これ中年の鬱ってやつか?と気づいた。

自分が何者でもない、しょうもない人生だってことに気づいてしんどくなるという…

誰からも尊敬される、偉い人になりたかった。今考えると、誰からというより親から尊敬されたかったんだと思う。結局親にすごいと言われてもむかついただけだったけど。

すごくなりたいと思うことをやめたいと思った。40にもなってどでかい自己顕示欲と自意識がはずかしい。

何者でもない、三流のしょうもない人生。

それでいいのかもしれない。